モトのねぶた談義
ねぶたまつりはフェスティバルではなく神事儀礼だという視点に欠けてます。形だけの祭礼をして本質が見えてません。海上運行は全部のねぶたを黄泉の世界へ返すべきです。でないと荒る魂として現世に災いをもたらします。ハネトの自由参加したのは、青森青年会議所の功罪。おらほのねぶたという意識が希薄化して、帰属意識が無くなり、ねぶたにイタズラしたり、暴力化に拍車をかけました。一体、誰のための何のねぶたなんでしょう。そこのまつりの本質を唱えているのが志功画伯のねぶた談義です。弘前のように地域単位の町会に戻せばいいのです。お金と人的な問題は、市民力+民間力でやり方を考えれば方法はあるはずです。例えば、青森青年会議所の運営ノウハウを地域に還元して、各町会にある学校、企業、団体サークルを組織化して、準備から資金集め、運行制作までをフォローアップする体制を提案するとか、祭り継承の人材育成にもなります。ねぶた祭りは見るものではなくて、参加するものだという声は、このプロセスに答えがあると思います。今回の不祥事は露骨に観光化を急いだ天罰です。私の青年会議所時代は1年中ねぶたまつりの在り方を議論してきました。見せ物になり、地域から解離して、鼓笛隊になってしまったと問題提起しておりました。私はまつりは世代間を越えて、地域コミュニティーを強固にする神事だと思っております。「祭」という会意文字に神事の根拠が隠されてあります。
